嵐の夜に。
台風が通り過ぎて行きました。
思うことは、また再び、持続可能な働き方ってなんだろうということ。
生理が来ました。
検査薬、買って帰ろうかなと思ったその日に、さくっと来ました。
人工授精二回目は失敗。
なんで、こうもなかなか授からないのかなあ。
世の中の人たちの半分くらいは、苦労せず、子供を授かっている気がするけれど。
なかなか子供ができません。
30という年齢は非常に微妙なところで、焦るにはまだ早いのかもしれない。仕事だってまだまだこれからだったりするはずなのに。
実際、わたしの仲良し達の内訳は、妊娠中1.DINKS2.未婚2。ゆるやかに、ちょっとずつ、それぞれの人生のステップアップや、ステップチェンジをする時期なのかもしれない。
わたしはどんな未来を選ぶのか。今日という日の選択の先に、明日の未来はできていて。
ただずるずると、なんだか違うなあという気持ちを抱えたままじゃ、進めない、進めないよ。
わたしの理想とする未来の中に、いまの泊まり勤務は入っていないのだ。でも、ただ事務作業をするだけの毎日も、飽きてしまうと思うの。
刺激とストレス、正比例するものだと思うから、迷ってしまうのだよね。
未来は与えられる物じゃなくて、本当は、選び取る物であって欲しい。わたしの人生だもの。わたし自身で描いていきたい。
人工授精AIH2回目の結果待ち
前回、はじめての人工授精に手を出して、ルトラールを飲み終えたら、さくっと来た生理。
一回で妊娠できるとは思っていなかったから、案外がっかりもしなかったのだけれど、今周期も迷う事なく、人工授精。
今回は、人工授精するタイミングでは18ミリまで育っていた卵胞が跡形もなくいなくなっていた。つまりきちんと排卵したという事だろうという事で、間に合うか一縷の望みをかけて、人工授精二回目。
いまは、その結果待ちの毎日。
前回、今のままの働き方では無理かも、ちょっと考えなきゃ、と言っていたが、昇進も伴う配置換えで、泊まり勤務が週2→週1に!
とっても前向きに手に入れた進歩だと思う。
二回目で妊娠できるともあまり思っていないのだけれど、せめて、5回チャレンジする間に、と思う。9月が2回目、10月で3回目。11月で4回目。5回目は12月。今年中に一区切りつくという事だなあ。
なんで子供が欲しいんだろうと、最近、ふと考える。子供が出来ることイコール、しあわせな事しかない未来と無条件に信じているからだろうなと。もしかしたら、ものすごい大変な事も山盛り待っているかもしれないのに。なのに。
いつだって得意な、最悪を想像する力は、この際、置いておいて。一回本気で幸せだけを信じてみてもいいのかもしれない。
来週の火曜日に今回のルトラールを飲み終わる。12日になっても生理がこなければ、検査薬を試してくださいと。さあ、今回はどうだろう。
気づいたら、不妊治療。
もう、ちょっと心の中に留めて置くだけではいられなくて、書きます。
私の妊活の話。
今の会社に入社して8年、齢30に突入した私。
会社の研修はいつの間にやら若手研修から、中堅社員研修へと名前を変え、あれ、私ってもう中堅社員なんだ、なんてびっくりしたりして。
入社して数年はオフィス系の部署におり、そこで出会った旦那と結婚。
その後、お互いに超多忙な部署へ異動になり、私は避妊を宣言。
一人前になるまでは子供は作らない、と、少し年上の旦那に言い放った。
そうこうしているうちに4年が経ち…あっという間に30になったというわけです。
結婚してからはゆうに6年。
仕事も少し落ち着きを見せ、よーしそろそろ妊活でも、と重い腰を上げたのが、ここ1、2年の話。自己流のタイミング法を試みるも、一向にできない、おかしいね、と思い、さらに重い腰を上げて産婦人科に行ったのが、今年の3月。
その結果、分かったことは、自分が多嚢胞性卵巣症候群だということ。
吉田明世アナウンサーとか、矢沢心さんとかが公表していた、あれね。
漢字が並んでいて、だいぶ難しい病気なのかと思ってしまうけれど、厳密にいうと病気ではないらしい。体質?の問題。卵が多すぎて、きちんと育たず、排卵もしにくいという体質。
排卵しない、ということは、当然妊娠もしないわけで。
自己流のタイミング法では一向に妊娠しないはずだとようやくわかったわけです。
そうして、病院にかかりながら、タイミングを見てもらい頑張ること、5か月。
気づいたら、今周期で、人工授精に手を出していた…!
あまり、自分が不妊治療をしているというつもりはなかったのだけれど、人工授精に手を出したということは立派な不妊治療だよね…?
今周期は、人工授精に加え、その前後もタイミングを取り、連続3日間頑張ったけれど…どうだろう?実を結ぶだろうか。
人工授精って、それなりにお高くて、超音波検査なども保険適用外になってしまうから、合計で3万円以上かかる。3~5回は試してみる価値があるみたいだけれど、3回試したら9万円、5回試したら15万円だよ…。
それなりにお給料はもらっているから、なんとなくさらっと払っているけれど、いやこれ、結構な額ですよ!?今周期、リセットしたら、猛烈に落ち込みそうだ。どぶに捨てた3万円…って。
そんな私の今のもっぱらの悩みは、今の仕事いつまで続けるの…問題。
幸いにも、比較的大きなわが社は、今の現場仕事でなくても、バックオフィスの仕事もたくさんある。その方が規則正しい生活であることは、疑いようもない事実。
現に、気づけば、私の周りの妊娠適齢期の既婚の先輩たちは、泊まり勤務のある今の部署から、一人、また一人と離脱。気づけば、上にいる女子社員の先輩たちは、独身の人ばかり…。
夜勤、しかも、24時間以上仮眠もとれず、常にストレスフルに晒されるこの仕事、妊活にとっていいはずがないとも思う。それなのに、変えてもらおうという腹をくくれないのは、なぜか。変えてもらって、子供ができる保証はどこにもないから。その一点につきるかな…。
でも、今回いつの間にか自然に人工授精にステップアップしていた現実を受けて、ふと冷静に考えてしまったことも事実。いつまで、私、この働き方続けるんだろうって。
3万円をぽろっと支払って、またリセットして。って、無理だよね。
週に2回泊りがあって、それぞれ実質30時間くらいの連続勤務。
言葉にすると、どう考えても妊活によくない。
今、言葉にしていて、思うことは、3回目の人工授精が失敗したなら、仕事を変えてもらおうという決意。その時点で、10万円は軽く越しているから。ちょっと私の中で、心がその方向に整いつつあるよ。
こうして、ここに書かないとやっていけないのは、旦那以外、だれにも相談できる人がいないから。中学から仲のいい親友女子6人グループは、ようやく一人が最近妊娠が判明。そんな中で私が不妊治療していて、なんて言ったら、彼女がきっと気を使わなくてもいいのに気を遣う。母親や家族には、本気で心配されそうで言いたくない。職場の先輩には、相談できる人がいない。困ったもんだよ、本当に。
30女の尽きぬ野望
一時、私は、「wishリスト」が更新できない、という停滞期に突入したことがありました。自分が何をしたいのか、心躍ることが何なのか。全然、わかんない。そこはかとなく、毎日、つまんない。そんな日々に突入したことがありました。
当時は、なんとかwishリストを作ろうとしてみるのだけれど、本当にやりたいことが一個も出てこなくて、すっかり不感症になっていたように思う。その頃、思っていたのは、こんなにやりたい事が出てこないのは、新しいライフステージに進む時期ということだな、と勝手に結論を出して、子供を作らねば、と少し焦ったりもしたっけ。夫婦二人の生活に飽き飽きしていたころかもしれない。
子供はできぬまま、結局どうやって、あのモヤモヤ期を脱したのかはもう覚えていないのだけれど、反動か…今はwihsリストだらけで、むしろ欲望の塊。30目前に、欲望が付きません。どうしよう。でも、うきうきとやりたいことがあるのは本当に心の栄養上、とてもいいことで、私は書けば叶うと信じているたちなので、ここにつらつらと今の野望や欲望を書き連ねます。30ってことは、元気いっぱいに動ける折り返し地点に立ったってことでもあって。これは、もう、四の五の言わずにやりたいことはやるべきだなと、思っている次第です。はい。
以下、女の欲望。
・アイスランドで真っ青な氷の洞窟に入りたい!
・これまたアイスランドで天然温泉にぷかぷか入りたい
・あっつーいタイで華やかなロングワンピースを着て街を歩きたい
・これまたタイで安くて効果のあるコスメを買いまくりたい
・スリランカでアーユルベーダで脱世俗したい
・ギリシャの白い街青い空、きれいな海を満喫したい
・映えスポットだらけのモロッコでかわいい雑貨を買いたい
・トルコのカムッパレを見てみたい
・雪深い季節に山形の銀山温泉に泊まりたい
・箱根の本だらけのホテルに泊まってみたい
・愛媛の下灘駅に行ってみたい
・サクサクと新雪を踏みながら、星空を見上げたい
・物語を紡いで、形にしたい
・作家、物書き、として、キャリアを作りたい
・英語の勉強をしなおしたい
・いつも清潔で一番似合う洋服を着ていたい
・クローゼットの無駄をなくしたい
・小物はいいものを長く大切に使いたい
・赤ちゃんがいつかは欲しい
・いつだって本を水を飲むように、空気を吸うように読んでいたい
・人によって態度を変えない人でありたい
・体の中から健康でありたい
・Tシャツデニムスニーカーで様になる体でありたい
・適度な運動を生活の中で当たり前に取り入れたい
・一日いても幸せに思える快適な自宅を作りたい
・家族を当たり前に大切にしたい
・豊かでしなやかでみずみずしい黒髪を揺らしたい
・やってよかったな、と思える仕事をしたい
・1000万円、とりあえず貯金したい
・世界史&日本史をもう一度楽しみながら勉強したい
・社会の仕組みをちゃんと理解したい
・体が喜ぶ食事をしたい
・毎食を大切にして、朝ご飯の幸せをかみしめたい
・雨の日には雨が楽しめる服装や行動を持っていたい
とりあえず、ざっと思いつくままに。
書き連ねると、こんなもんかしら。
あなたの、欲望は、何ですか?
物かく人。
私は、物を書く人でありたい。
私は、物を書いて、お金を稼いでいたい。
今の仕事は、まっすぐと”文章を書く”というシンプルなものではなくて、まぁクリエイティブといえばクリエイティブなんだけれど、私が単純に求めているのは、ただ文章を書いて、対価を得る事なのだと、最近ようやくすっきり気付く。
しかし、同時に、自分がモノを書くだけでお金を稼げるほど、今の状況が整っていないことには気づいていて。小説家がコンビニでバイトしながら、一編の小説を書きあげるように。作詞家がただメロディーに乗せて言葉を紡いで、忘れられない一曲を書き上げるように。それだけを職業にする勇気はないのです。安定的な今の仕事を捨てる気もない。
なのに、書く人として、お金をもらいたい、だなんてずいぶんと横柄な願いで、最近読んだ朝日新聞のアフロの人(稲垣さん、でしたっけ…?)のエッセイで、朝日新聞を退社した稲垣さんが、「朝日新聞のギャラが安すぎる!」と驚愕するくだりがあって。そこで何十年も物を書いてきた人の文章でさえわずかなお金で扱われる今、私の駄文なんて、むしろ掲載してあげるから、お金もらっていいっすか?と言われるようなものなのだろうか。いやはや、悲しい。
しかし、あきらめきれないのが、幼いころからの夢というもので、私はずっと、物を書く人になりたかった。アラサーの私が小学生の頃は、信じられないだろうけれど、まだパソコンはフロッピーディスクを使っていて、文字を書く事だけを専門にしたワープロが存在していた。私は、父の会社のワープロを私物化して、(父の会社は自営業なのだ。いつも油のにおいがする会社に入り浸って、かちかちとワープロをいじっていた)物語を紡いでいた。
今でも覚えているのは、当時”パスワードシリーズ”という、簡単な謎解きものの小説にはまっていて、限りなくパクりに近い物語を書いていたことと、女の子二人が主人公で学校が火事になってしまい二人とも命からがら逃げだす、という落ちもなにもない物語。そして、「レール」というタイトルで書いていた、その名の通り、「レールの上の人生を歩くことを疑問に持ち始めた小学校6年生の物語」なんてものをたらたらと書き連ねていたのだ。
思い返してみると、いつか小説家に、とか、エッセイストになりたい、とかっていう夢は、小学校の頃が一番素直にわかっていた気がする。
いまとなっては、とりあえず入社できた会社に拾ってもらいまして、えぇ、みたいな、ただの社会人になり果てて、日々の生活で疲れ切って、物語を紡ぐこともしなくなっていた。
入社して、数年いた部署で、毎日毎日、いやみーな40代の男の上司に言われていたのは、「お前にはクリエイティブがない。なぜなら、お前には本当に好きなものがないからだ。お前は何がしたいんだ。こんなクリエイティブな俺のこと見習えよ、おい」みたいな言葉。そう聞かされるたびに、確かに私、何に興味があるんだろう。私のクリエイティブってなんだろうと、自信ばかりなくなり、よくわからない、自分探し期に突入したりしたっけ。
それでも、今になって思うのは、私、昔から、清少納言とか、紫式部とか、もし歴史上の人物になるのなら、この人たちがいいなぁと漠然と思っていたし、私と同じく本を読んだり、文章を書くのが好きな姉もいて、まさしく清少納言と紫式部みたいだなぁなんて思っていたのだ。それって確実に、私がモノ書く人でありたいという潜在意識なんだ。
国語の授業は好きだったし、今でも空で言える百人一首はいくつかあるし、(お気に入りは、「花の名は移りにけりないたずらに我が身世に振るながめせしまに」と、「忍ぶれど色に出でにけりわが恋はモノや思うと人の問うまで」この二つ)、中学受験の思い出なんて、ろくな思い出がないけれど、当時通っていた塾で、イラストをみて自由に小説を書くという課題で、私だけ選ばれて、みんなの前で読まれたこともあった。読書感想文だって、何度か賞をもらった。少年式の時に、一言ずつ記した言葉は、私のものだけ、図書館の壁に張り出された。
文章を書いて、その文章をほめられて、私は心の底から喜んだし、自分の文章で誰かが何かを思ってくれるのであれば、それ以上幸せなことはないと思っている。
今の私の職業は、「文字」、というよりも「映像」で伝えることがすべてで。圧倒的に強い絵があれば、言葉はむしろいらない。絵で見せられないならば、一人前じゃない、そんな空気があるけれども、そんな毎日の仕事の中でも、映像に添えた言葉が、ツイッターなどで、抜き出されて、心に残った、なんて書かれていると、もう本当、ありがとうございます。あなた一人にでも届いてくれてよかったです、私の言葉が、ちょっとでも力になれたのなら、そんなに幸せなことはないです、と心の底から震えるほどうれしく恐縮する。
言葉の力を信じている、というのは、私がまだ将来が見えていなったころ、実家で鍋をつつきながら見ていたテレビで流れていたCM。朝日新聞社のCMだったと思う。言葉は無力だ。言葉は人を傷つける。言葉は…とネガティブなことが続いた後に、こう言う。「それでも、私たちは言葉の力を信じている」。そうなのだ。私は、言葉の力を信じている。だから、あなたが救われる言葉が、この世界のどこかに、小さくひっそり輝いているといいと思う。
朝日新聞のアフロの人、とはこの方です。
最近読んだエッセイ。
さよなら、おやすみ
長かった2018-2019のお休み期間を終えて。
あと少しだけ、あと少しだけ…と布団にしがみつく朝です。
起きたくないなあ、寒いしなぁとベットでグズグズしながら、なんとか布団から出る力を得ようと無駄にブログを書き始めました。
それにしても、よく休んだ二週間弱。
もはや夏休みと同じくらいの長さ、休んでしまうと心も体もなかなかお仕事モードにはなれないもので。
最初の出勤がゆっくり昼出だから、まだ救われているのかな。それともシャキッと早朝出勤で切り替えられた方が案外荒療治でうまくいくのかな。ズルズルと2時や3時まで起きているのが当たり前で、昼過ぎてやっと目覚める生活をしていたから、すっかり朝起きるのが苦手になってしまった。困ったもんだ。
起きたくないなあと思う時点で、やっぱり特段今の仕事が猛烈に楽しい!というわけではないのではないか、と邪推。
本当はあと1時間でも2時間でも。暖かい毛布に包まれて目を瞑っていたい。いくらでも寝られるのに。
なんのために働くのか、考えた時、やりがいと生きていくためのお金と。いつも天秤になる。
それでも、私はやっぱり。生きていくためのお金、の方がいつも少し、重いかな。
やりがいは仕事以外でも見つけられるから。
お金を得るのは、仕事でしか無理で。
やりがいもあって、楽しくて楽しくてしょうがない。そんな仕事をする事ができれば、それはもう、この上ない幸せなことでしょう。
そこが一致するのは、なかなかに難しい。
そろそろベットを抜けださなくちゃ。
納豆ご飯に、お味噌汁。目玉焼き。
せめて、身体が喜ぶ朝ごはんを食べて、会社に行きたい仕事始め。
一年の計は元旦にあり、てな。
びっくりしました。
何度更新しても、0。
誰に向けて書いているんだ、この文章は。
誰かに読まれる事を想定していないならば、クローズドなブログにすればいいわけで、オープンにしているからには、少しくらいは読んで貰えなきゃ、切ないだけ、という事ですな。
名無しのアラサーOLの駄文なんて読んだところで時間の無駄という事ですな。世間の反応的に。
一年の計は元旦にあり。だから、貴重な1月1日の24時間を、こんな駄文を読むために使わない、というのは懸命な判断だと思います。
(もう2日なったから、読んでみてもいいんじゃない?というつぶやきは置いておく)
しかし、一年の計は元旦にありという言葉は、私の中で呪いのように響きます。
思い起こせば書き初めで新年の抱負をつづらされていた小学校時代から、ブレずにずっと、「早寝早起き」。
つまるところ、早寝早起き、こそ、私が人生をかけて苦手にしているものという事です。
今年は、さすがにアラサーにもなって、早寝早起きだけが目標じゃ寂しすぎる(し、何だかとても馬鹿っぽい)ので、明日やろうは馬鹿やろう並みに、元旦にやりたい事、やるべき事、今年一年幸せに過ごせますように、の願いを込めてやってみました。
早起き、はギリギリ。10時半に目が覚めたので、よし。きちんと朝ごはんを家で作って、食べる、というのも、私の長年の夢なので、お雑煮を作る。そして食べる。
体の中から健康でありたい、というのも、外せない願いなので、青汁パウダーを飲むヨーグルトにぐるぐる混ぜて飲む。
いつもなら次ご飯作るときでいいや、と放って置かれがちな洗い物も食べたらすぐする。やればできるってものです。
そのあとは旦那と一日休みを堪能すべく、近くのアウトレットへ。財布の紐はガチガチに固めつつも、オシャレは小物から、を実践すべくコーチで鞄を購入。
適度な運動も絶対したい、という事で、アンダーアーマーでズボンを購入。本当はアディダスとかで全身揃えたかったのだけれど、帰りにたまたま寄ったアンダーアーマーが1番よかった。何より、混んでない。アディダスとかナイキとかは混みすぎていて、店内を歩くのに、人を避ける方が難しいくらいだったから。
そして、夜もお家でご飯。
いつも食べすぎもいいところなのだが、腹八分目で終える。すごい進歩。
そして、帰りに寄ったTSUTAYAで川上未映子さんのエッセイ「君は赤ちゃん」を2019年最初に買う本に認定。今年こそは、赤ちゃんできてもいいんじゃない?という期待を込めて。
腹八分目で食事を終えた後は同じくTSUTAYAで借りた映画を。映えある2019最初の映画は、ザ・ハリウッドなミッションインポッシブル。
どかーん、がつーん、どーん!と非常に満足できるザ・エンタメ作品でした。
そして、二本目。ワンダー、に手を出したところでお風呂。本当は最後まで映画を見るためには明日の朝にお風呂を送ってもよかったのだけれど、一年の計は元旦にあり。映画を一時停止して湯船にちゃぷり。そしてお風呂上がりには、新しいパジャマを着用。妊活のための、温活グッズ×3(かかとソックス、レッグウォーマー、腹巻)も装着。
すっかり密度の濃い元旦を過ごし、今、思うことは。早寝だけは、今年も無理そう。
おやすみなさい。