アラサー女の迷いながら生きています。

30歳です。都内で働いています。女です。現在は泊まり勤務がある仕事をしています。連続稼働時間24時間越えはざら…いつまでこんな仕事続けるのか、悩みに悩んでいます。現在妊活中。多嚢胞性卵巣症候群と診断され、あれよあれよといつの間にか不妊治療の仲間入りです。

物かく人。

私は、物を書く人でありたい。

私は、物を書いて、お金を稼いでいたい。

今の仕事は、まっすぐと”文章を書く”というシンプルなものではなくて、まぁクリエイティブといえばクリエイティブなんだけれど、私が単純に求めているのは、ただ文章を書いて、対価を得る事なのだと、最近ようやくすっきり気付く。

 

しかし、同時に、自分がモノを書くだけでお金を稼げるほど、今の状況が整っていないことには気づいていて。小説家がコンビニでバイトしながら、一編の小説を書きあげるように。作詞家がただメロディーに乗せて言葉を紡いで、忘れられない一曲を書き上げるように。それだけを職業にする勇気はないのです。安定的な今の仕事を捨てる気もない。

 

なのに、書く人として、お金をもらいたい、だなんてずいぶんと横柄な願いで、最近読んだ朝日新聞のアフロの人(稲垣さん、でしたっけ…?)のエッセイで、朝日新聞を退社した稲垣さんが、「朝日新聞のギャラが安すぎる!」と驚愕するくだりがあって。そこで何十年も物を書いてきた人の文章でさえわずかなお金で扱われる今、私の駄文なんて、むしろ掲載してあげるから、お金もらっていいっすか?と言われるようなものなのだろうか。いやはや、悲しい。

 

しかし、あきらめきれないのが、幼いころからの夢というもので、私はずっと、物を書く人になりたかった。アラサーの私が小学生の頃は、信じられないだろうけれど、まだパソコンはフロッピーディスクを使っていて、文字を書く事だけを専門にしたワープロが存在していた。私は、父の会社のワープロを私物化して、(父の会社は自営業なのだ。いつも油のにおいがする会社に入り浸って、かちかちとワープロをいじっていた)物語を紡いでいた。

 

今でも覚えているのは、当時”パスワードシリーズ”という、簡単な謎解きものの小説にはまっていて、限りなくパクりに近い物語を書いていたことと、女の子二人が主人公で学校が火事になってしまい二人とも命からがら逃げだす、という落ちもなにもない物語。そして、「レール」というタイトルで書いていた、その名の通り、「レールの上の人生を歩くことを疑問に持ち始めた小学校6年生の物語」なんてものをたらたらと書き連ねていたのだ。

思い返してみると、いつか小説家に、とか、エッセイストになりたい、とかっていう夢は、小学校の頃が一番素直にわかっていた気がする。

 

いまとなっては、とりあえず入社できた会社に拾ってもらいまして、えぇ、みたいな、ただの社会人になり果てて、日々の生活で疲れ切って、物語を紡ぐこともしなくなっていた。

 

入社して、数年いた部署で、毎日毎日、いやみーな40代の男の上司に言われていたのは、「お前にはクリエイティブがない。なぜなら、お前には本当に好きなものがないからだ。お前は何がしたいんだ。こんなクリエイティブな俺のこと見習えよ、おい」みたいな言葉。そう聞かされるたびに、確かに私、何に興味があるんだろう。私のクリエイティブってなんだろうと、自信ばかりなくなり、よくわからない、自分探し期に突入したりしたっけ。

 

それでも、今になって思うのは、私、昔から、清少納言とか、紫式部とか、もし歴史上の人物になるのなら、この人たちがいいなぁと漠然と思っていたし、私と同じく本を読んだり、文章を書くのが好きな姉もいて、まさしく清少納言紫式部みたいだなぁなんて思っていたのだ。それって確実に、私がモノ書く人でありたいという潜在意識なんだ。

 

国語の授業は好きだったし、今でも空で言える百人一首はいくつかあるし、(お気に入りは、「花の名は移りにけりないたずらに我が身世に振るながめせしまに」と、「忍ぶれど色に出でにけりわが恋はモノや思うと人の問うまで」この二つ)、中学受験の思い出なんて、ろくな思い出がないけれど、当時通っていた塾で、イラストをみて自由に小説を書くという課題で、私だけ選ばれて、みんなの前で読まれたこともあった。読書感想文だって、何度か賞をもらった。少年式の時に、一言ずつ記した言葉は、私のものだけ、図書館の壁に張り出された。

 

文章を書いて、その文章をほめられて、私は心の底から喜んだし、自分の文章で誰かが何かを思ってくれるのであれば、それ以上幸せなことはないと思っている。

今の私の職業は、「文字」、というよりも「映像」で伝えることがすべてで。圧倒的に強い絵があれば、言葉はむしろいらない。絵で見せられないならば、一人前じゃない、そんな空気があるけれども、そんな毎日の仕事の中でも、映像に添えた言葉が、ツイッターなどで、抜き出されて、心に残った、なんて書かれていると、もう本当、ありがとうございます。あなた一人にでも届いてくれてよかったです、私の言葉が、ちょっとでも力になれたのなら、そんなに幸せなことはないです、と心の底から震えるほどうれしく恐縮する。

 

言葉の力を信じている、というのは、私がまだ将来が見えていなったころ、実家で鍋をつつきながら見ていたテレビで流れていたCM。朝日新聞社のCMだったと思う。言葉は無力だ。言葉は人を傷つける。言葉は…とネガティブなことが続いた後に、こう言う。「それでも、私たちは言葉の力を信じている」。そうなのだ。私は、言葉の力を信じている。だから、あなたが救われる言葉が、この世界のどこかに、小さくひっそり輝いているといいと思う。

 

 

魂の退社

魂の退社

 

 朝日新聞のアフロの人、とはこの方です。

最近読んだエッセイ。